陸運業大手のヤマト運輸は日本を代表するサービス事業者です。

ヤマト運輸は日本の物流システムに変革をもたらしました。比較的小さな荷物を配送する宅急便事業で頭角をあらわしました。今では全国にネットワークを張り巡らせ、業界のリーディングカンパニーとなっています。

ヤマト運輸が今日のような発展を遂げることができたのは、様々な決断と挑戦を行ってきたことにあります。正しい決断を行い挑戦したことで道を切り開いていきました。

象徴的な出来事があります。2010年4月、ヤマト運輸は三越伊勢丹ホールディングス傘下の三越伊勢丹ビジネス・サポートと31年ぶりに全国取引を再開しました。

実は、31年もの間ヤマト運輸と三越は疎遠関係にありました。それ以前の両社の関係は良好で、三越はヤマト運輸(当時は大和運輸)にとって当時最大の取引先でした。

しかし、三越の社長に岡田茂氏(故人)が就任したことにより、状況が一変することになります。岡田氏は売上至上主義を掲げ、取引先を顧客とみなすようになりました。取引先に対して商品販売を行うようになったのです。三越は所有する絵画や家具、時計といった商品を取引先に押し売りしました。取引先にとって三越は大口顧客のため、簡単に「ノー」とは言えませんでした。

ある時期のことです。三越は業績が悪化したため、ヤマト運輸に対して商品の販売の他に、配送料金の引き下げや三越流通センターにおける駐車料金などの徴収を行うことを通告しました。

不当な要求ですが、ヤマト運輸にとって三越は最大顧客です。ヤマト運輸が経営危機に陥った際に救いの手を差し伸べたのが三越の前身である三越呉服屋だったという負い目もあり、要求を受け入れざるを得ませんでした。

その後、ヤマト運輸の三越出張所が赤字を計上するようになりました。三越の業績が回復したこともあり、ヤマト運輸は三越に対して配送料金の改定を申し入れました。しかし、聞き入れてもらうことはできませんでした。

■ 三越との決別

ここでヤマト運輸は決断します。五十余年にわたって取引関係にあった両社ですが、ヤマト運輸は三越との配送契約を解除する決断を下したのです。

最大の顧客と決別することは短期的には大きな影響を及ぼします。売り上げの低下は免れません。しかし、短期的な売り上げよりも、同じ価値観を共有してビジネスを行うことの方がはるかに大事だとヤマト運輸は考えたのです。

それに加え、ビジネスは三越に限る必要はないと考えました。市場の変化に合わせ、知恵を絞って新たな市場を開拓することも必要なことだと考えました。将来のビジネスチャンスを見据え、三越との契約解除に踏み切ったのです。

実はビジネスチャンスの芽は出ていました。宅急便事業です。宅急便事業を本格化する上で百貨店配送は大きなリスクがありました。百貨店配送は市場規模が大きいものの、競合との競争が激しく、需要の変動幅が大きいというリスクがありました。

百貨店配送には多くの事業者が存在しました。競合との競争が激しく、ヤマト運輸は苦戦を強いられていました。また、百貨店配送は中元と歳暮の時期には通常の月の7~8倍に増えるという特徴があります。安定した収益が望めないという問題がありました。

■ 個人向け宅配サービスへ参入

そこで目をつけたのが個人向けの宅配サービスである宅急便事業です。個人向けの宅急便事業にも中元や歳暮による需要変動のリスクがありますが、百貨店配送ほど需要の変動幅は大きくありません。

ヤマト運輸がクロネコヤマトの宅急便として個人向け宅配サービス市場に参入した当初は、官業であった郵便小包が市場を独占していました。新規参入が難しい市場でした。というのも、個人向け宅配サービスは輸送効率が悪くリスクが高いビジネスだからです。

個人向け宅配サービスと違い、商業貨物の輸送サービスは出荷元と配達先の場所や集荷・着荷の時刻、輸送量などがある程度決まっているため、事業として取り組みやすいという特徴があります。商業貨物の場合、大量の荷物を既定のルートで大量輸送できるので、効率性は高いといえます。

一方、個人向けの宅配サービスの場合、集荷・配達先がどこかは事前にはわからず、取扱量は不確定的です。荷物は小口になる傾向があり、たとえ1口でも配達する必要があります。一度に大量に集荷して配達することが困難で、どうしても効率が悪くなってしまうと思われていました。

しかし、ヤマト運輸は「個人向け宅配サービスは採算がとれない」という業界の常識を疑いました。逆に、合理的に行えばビジネスとして成立するのではないかと考えました。

確かに、個々のケースとして考えると偶発的に荷物が発生するため、輸送量のばらつきが発生し非効率に思われます。しかし大きなブロック、例えば東京や大阪といった大きな範囲間での荷物の輸送のやり取りをすると考えれば、荷物の非効率性は発生しないと考えました。

この考え方は理論としては説得力があります。しかし現実問題として、採算がとれるだけの取扱荷物の総量を確保することができるのか、集荷のシステムを構築できるのか、配達ネットワークを構築できるのかといった問題がありました。

まず、採算がとれるだけの取扱荷物の総量を確保することができるのかという問題がありました。

宅急便が誕生したのは1976年ですが、当時の郵便小包の取扱量は年間約1億9000万個、国鉄小荷物は約6000万個で、二つを合わせて2億5000万個が既に小荷物として扱われていました。仮に1個の料金が500円とすると、年間の市場規模は約1250億円あると推計することができます。参入して採算がとれるだけの市場規模があるとヤマト運輸は判断しました。

結果として、市場規模はさらに拡大し、2003年には民間の宅配便と日本郵便のゆうパックを合わせて取扱量は30億個を突破するまでに成長しました。結果的に、ヤマト運輸は先見の明があったことを示す形になりました。

ヤマト運輸は、個人向け宅配サービスは採算がとれる市場規模があると判断しましたが、発生する荷物をいかに集めるのかという問題がありました。取り扱う荷物を効率よく集荷するシステムを構築する必要がありました。

■ 取次店の拡大が成功の原動力となった

そこで、効率よく集荷するために「取次店」を各地に設置することを考えました。街に点在する酒屋や米屋などに取次店になってもらい、個人の顧客が荷物を近所の取次店に持ち込み、ヤマト運輸の集荷車がエリアの取次店にある荷物を集めるというシステムを確立しました。取次店としてコンビニエンスストアが加わるようになると、取次店数は飛躍的に増加しました。

取次店は手数料収入が得られます。さらに集客できるメリットもあります。荷物を送る個人は取次店が多ければ多いほど荷物の持ち込みが簡便になります。ヤマト運輸は取次店が増えることにより取り扱う荷物の量が増えるため収益性が高まります。取次店制度は三者全てが得をする制度といえるでしょう。

集荷システムの構築に加え、配達ネットワークの構築も急務でした。各都道府県に配送所を設け、さらに細分化した配送拠点を各地に設けました。どの個人宅にも早く荷物を届けることができる体制を構築していきました。

難しい問題もありました。配送拠点は多ければ多いほど荷物を早く届けることができます。しかし、配送拠点を設置するには多額の投資費用がかかります。

サービス品質の向上と費用はトレードオフの関係にあります。両方のバランスを最適化した上で配送拠点を設置するバランス感覚が求められました。

こうした不確実性が存在する市場にヤマト運輸は果敢に切り込んでいきました。郵便小包が独占していた市場に、ヤマト運輸は課題を一つずつ克服し、牙城を崩しにかかっていったのです。結果としてヤマト運輸は個人向け宅配サービスで大きなシェアを築くことができました。

ヤマト運輸が日本の物流に革命を起こしたといえそうです。

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